生瀬勝久と槍魔栗三助と西塚京介。

最近よく生瀬勝久に似ていると言われるのでWikipediaにも書かれていない事を書いてみようと思う。


僕が中学時代、俳優生瀬氏はKBS京都というローカルの放送局でラジオ番組を持っていた。夜。フリーキャンパス京都という番組で金曜日だったとおもう。その中での会話に、母親の提案で芸名を西塚京介にするのはどうかという案があったという。


「西宮生まれで、駅は宝塚で、京都に居る(京都の大学?)」とか言う内容だったと思うのだがそこはもう20年近い昔の話なので覚えていない。当人は覚えているかもしれないが覚えていないかもしれない。


当時ラジオを聞くのが友達の中では流行っていて、僕は槍魔栗三助氏の番組が大好きで、テープに録音して何度も何度も聞いた。ガンビーたいらさんは名前を憶えているけれど、もう一人女性パーソナリティの名前が出てこない。ゆきえさんだったかなぁ。藤田幸恵さんだったような気もする。


とにかく俳優の生瀬くんをテレビで見ると三助さんも頑張っているのだから僕も頑張ろうと思うのでした。作文みたいになったな。ははは。


追記。フリーキャンパスKYOTOはWikipediaに項目があった。槍魔栗三助は水曜日で、金曜日は徳永英明だった!どっちも聞いてたんだ!しかもガンビータイラさんは国会議員になっていた!

いつ頃気付くのかの差

気づいても気づかなくてもそこ迄何も変わらない気がするけれど、大きな失望や日々の軋轢や葛藤が緩和される人もいるはずなので書いて見る。

何に気づくのか。

この生きている時間が、自分単体が主役の物語ではないという事に、だ。

最初の気づきは幼稚園かもしれない。家から放り出される最初のきっかけ、名実ともに小さな社会。

思い返せば幼稚園や保育園に行くとすでにステージは出来上がっていて、リーダーぽい体格のよい子やちやほやされる顔作りの美しい子は、既に居た。

学校のランクが上がる度に感じるのだが、社会に出てからこれこそ二回目の気づきがある。学校はあくまでも小さな社会だ。


主役でないことを24時間365日強いられる訳ではないし、それを推奨しようとも思わない。むしろ社会に出てからも、誰かと一緒にいても、自分が主役の瞬間は必ずある。その瞬間を見極めて輝くための、日々エキストラ業の腕に磨きをかけておくのだ。


一生主役のまま気づかない人も居るとは思うが、そうでない大半の為に、少し肩の力を抜く事をオススメする。

悩みの種

30半ばの僕が書くのは非常におこがましいのだけれど、現段階で分かる範囲の「悩み」について。まだまだこれから先には嫌って程悩むのだろうけれどね。

悩みとは時間性が高い思考の一種。時間性とか時期性とかちょっとアレな単語な気もするが、10歳の頃の悩みを今抱え続けている人は非常に少ないと思う。悩みというかそれはもうトラウマであったり実際の物理的な障害に分類されるんじゃないだろうか。

ある程度リアルタイム(即時的)な心理的障害が悩みだと思う。そして即時的な問題は往々にして時間が解決するし、時間が経つと解決方法を手にしていることが多い。

ので最近は悩みがとくにない。悩んでいても仕方ないからね。

気立て、器量、について調べる。

随分前にいくつか下書きしていた状態の物が放置のまま(放置のまま、って変な日本語)だったので一応置いておく。

気立てのよい娘さんだよ
器量のあるよい娘さんだよ

と言った表現が時代劇等ではよく見受けられるが、気が立つ、と書いて気立て。気を立てるなのかな?そこらのあれを調べたかった。

結局まだ調べていない。

気が短いとか、気に関わる表現の空気感もか、同時に調べる。