闘牛が色々とアレらしい。

とくにオチは無いので先に諦めてください。


今週新聞でさらっと見たのだが、あの見世物の闘牛がなくなる可能性があるらしい。理由は「子供たちに動物虐待を見せるのはよろしくない」という。実物を見たことがないのでその時は「ああそうなんだ」としか思わなかったが、なぜ闘牛が始まったのかを知った方がよいのではないかという気がして少しだけ調べてみた。いつものようにグーグルを叩いて。

現在の闘牛の形が作られたのは1700年代後半らしい。ただ起源自体はとても古く、お祭り的な意味合いや民俗信仰・宗教の一環という一面もあったようだ。イメージしていた通り。

僕がイメージしていたのは「日照りが続いているので生贄を捧げなければいけない」だとか「雨がやまないので生贄を」とか言うふわっとした物語的な部分だけで、実際の宗教活動に闘牛がどこまで関わっていたのかは結局頭に入らないままだった。ただ死と再生をモチーフとするのはどの伝承も同じ。


勝手に転載すると叱られそうなのでリンクだけ。
闘牛(Corrida de Toros)を開く親鍵


奇遇にも台所で一緒に煙草を燃やしていた同居人は「殺生」という言葉を使った。仏教の言葉だったと思う。ただ無益に殺すだけではいけないよね、と。殺された牛はみんなで食べるのかな?という話にもなった。

次回ホルモンや焼肉を食べる時の話題にしようと思ったが少し重い感じもするので、きっと忘れてしまうのだけれど、忘れる前に日記に書いておく事にする。