確実に各日になってるなー!
昨日の作業としては動画に音を差し込む作業。そこまでは順調だったのだが書き出しがかなりつらい。マシンパワーの問題だね。
後少し書き出し形式をいじくれば終わりとなるので日記をいじくる事にした。
風呂と同居人
不思議な同居人がなかなか風呂から出てこないのを常に怪訝に思っていたので、ある日尋ねてみた。風呂で何をしているの?と。
「冬場はね、しなければならない事が、ひとつだけある」
ゴクリ。
「想像する事で脳が鍛えられるのだから、5分だけでも考えてみたらいいのに」
ふむ、一理ある。という事でちょっとだけ考えてみることにした。
冬のお風呂に纏わる話。
基本的に風呂が嫌いだ。理由は体力を削がれるから。一体どういう入り方をすれば風呂に入って疲れるのか?とよく訊かれるがそれは人それぞれある訳で、食事をするだけで疲れる人もあればコピー機を持ち上げても疲れない人もいる。疲れる基準なんて言うのは各人の身体的能力だったり育った環境だったりで随分左右するものだと思う。
疲れるから風呂に入らない、それは流石に日本では通用しないのでたまには風呂を浴びる事にしているのだが、あまり風呂に入らない僕が風呂について考えられる事は夏場のカビや水垢、換気扇の埃くらいだろうかと思える。
水道があり、水が跳ねる場所だし、湿気のこもりやすい場所。気温と湿度のバランスが整えばきっと胞子達も大いに成長するだろう。ただ今は冬。「冬場はね──」と言っていたのであまりその胞子の未来については関係の無い話かもしれない。
冬場は寒い。脱衣所兼トイレという形式のユニットバスですら、服を脱ぐと寒く感じる。立て続けに入ることにより湯気のお陰でユニット内が若干暖かく感じる瞬間はあるが、基本は寒い。寒い、寒さ、気温、低い。気温は低い。
「もしかしてまだ考えているの?」
人はそもそもなぜ風呂にはいるのか。
風呂嫌いの観点から物事を考えても落とし所がなかなか定まらないので、極一般的な観点を得るべく「人はなぜ風呂にはいるのか?」を調べてみた。調べるとは大げさだな。何も考えずにグーグルを叩いてみた、だ。
この回答者群によると、風呂は一種の習慣らしい。民族的な文化として考えると確かに風呂にはいるのは習慣と言える。モンゴルあたりには風呂がないと聞くし、ガンジス川に入るのも習慣(慣習?もしくは信仰?)だろう。
習慣という物は土地によって変わってくる。雪国では──とか、南国では──、と言える類の話。日本というレベルで考えると高温多湿の所為で風呂に入る文化が根付いたと言えるらしいのだが、それでもここ200年程度の話らしい。
高温多湿。でも冬。冬だけに必要な作業。まだ答えが出ない。
あのぉ、そろそろ飽きてきたんで……
「で結局、また無駄な事ばかり考えているんじゃあないの?」
気づくと結構な時間風呂と文化と同居人みたいな事を考えていたのだが、こうやって思考を止めてくれる今日の同居人はなかなか優秀だと思える。思索を巡らせるのは趣味のようになっているし黙っていても時間は潰せるから割とまぁ、やってしまいがちな時間の使い方だったりするからだ。
「冬場のお風呂はね、びっくりするくらい結露するの。だから天井や出入口の冷たい部分を拭いているんです」
冷たい部分というのはサッシの部分だと思われる。ユニットバス内部はほぼ樹脂のようなプラスティックで出来ているのだが、出入口付近はアルミだった。
「そこから流れて落ちる水、お手洗いに行った時、足の裏についてひやっ!とするのは嫌でしょう?」
結露した水は壁をつたって床にたまる。小さな水たまり。靴下に直径2センチ程度のシミが出来た場合の気持ち悪さは想像するだけでぞっとする。
同居人は壁に水でシャワーを当て、庫内の温度を下げた上で鏡やサッシ部分の水滴を拭きとってから部屋に出てきていたのだという。翌朝まで足元に残っていた水気には色々とイライラさせられるものだからね。最近そういう状況じゃなかったのは気温や湿度の変化ではなく、同居人の工作が行われていたかららしい。
そんな訳でみんなもやってみれば良いと思う。そしてまずは風呂に入る事から僕はまた考えて過ごしたいと思う。